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一昨年の暮れごろから飲食をするたびに激しくむせて、呼吸ができなくなるほど苦しんでいました。「病院には絶対に行かない」と心に決めていたわたしは、自分が二度目のガンに侵されているだろうと確信していました。一年前の四月、柔道の師である坂元先生に叱られ、「病院に行け」と命じられました。「行きたくない」と言ったのですが、いつにないつよい口調で、「一刻も早く行け」と言われてあきらめました。
クアラルンプールの病院で主治医に「咽喉部に直径1センチくらいの悪性腫瘍がある」と言われてから、だらだらと半月近くすごして日本に帰りました。六月十一日朝、千葉県がんセンターに行くと、診察した土井先生に「今日これから入院してください。今日の午後に手術します」と言われたのです。四十歳前後の医師にわたしは「今日はいろいろやらなきゃならないことがあるので明日入院ではダメですか?」と言って引き伸ばしを図ったのですが、「いつ窒息死しても不思議はない状態なんです。腫瘍を見てしまった以上、医者として妥協できるのは、今日の午後2時ごろまでです」と言われたときに、わたしはそれまで意固地になってこだわりつづけた人生観が崩れてしまうことを半分あきらめていました。
わたしは東京に住む妻も一人娘も、千葉市に住む母と兄、そして弟の一家、それらのすべてを捨てるつもりでいました。長くもない生命が消えるまで、消えた後も親子兄弟そんなしがらみを絶ってしまおうと思っていました。だから、国民健康保険をわたし一人のものに変えなければ、現住所も移さなくては、とあわてました。千葉市の中央区役所で、その手続きをするには、現住所のある東京に行き、転出届を出して、転入届をするなどで、国民健康保険証を入手できるのは一週間くらいあとになると言われたのです。
いくらなんでも、国保なしで、がんセンターに入院し手術するなんて出来ない相談です。妻に電話し、保険証のある母の家に行き、家族のしがらみをすべて絶つという信念は遭えなく打ち消されてしまいました。いろいろなことをあきらめました。ノドの手術をすれば声を失う。ノドに穴をあけられれば、お湯に肩まで浸かることもできなくなる。柔道もできなくなるだろう。クアラルンプールには、ガンで死にかけているわたしに、つよい自殺願望を告げていた人がいました。その人を助けたくても助けられない状況になってしまいました。
去年の今頃、そんなこんな、めまぐるしい日々がつづいていたのです。
一年たって、まだ、わたしは生きています。声が出ないけれど、以前よりも健康そうに見えるのだそうです。四月からつい先日まで約一ヶ月間日本にいて、奥多摩渓谷を約三時間歩いたり、ラッシュアワーの新宿駅のよう(大袈裟ではなく)に混雑した高尾山にも登ってきました。高速バスで東京と金沢を往復するという若者的な旅もしてきました。
もちろん、世界中どこに行っても、車椅子へのバリア・フリーの設備はあっても、声が出ない人のバリア・フリーはありません。日本でも同じです。インターフォンで中の人に了解を得なければ入れてもらえない施設も多数あります。東京で「声がでないので。替わりに言ってほしい」と頼んだときに、日本人に知らんぷりされたときにはショックでした。障害者手帳を持っていれば、JRや民営のバスなどは半額になります。都営の交通機関や美術館、博物館などは無料か半額といった恩恵を受けられます。でも、声が出ないだけという、外見上はふつうの人に見えるのは、逆につらいことが多いような気がします。とくに、わたしのように外見は顔色もよく、筋肉質な体型だと、最初は誰も信じてくれないのです。だから、先に声が出ないと身振り手振りで伝えてから人と接します。そうすると、先入観で耳も聞こえないと思い込んでしまう人が多くて困ります。
東京に戻るために、KLIA内の売店でミネラルウォーターを買って乗り込もうとしたら、水様のものは持ち込み禁止だと没収されてしまいました。わたしはノドの気管孔で呼吸しているので水分の補給が必要なんだと、医療用だと、身振り手振りで説明しましたが、相手にされませんでした。不思議なことに、免税店ではウィスキーやブランデーなどの酒類もたくさん売っています。売っていながら、機内に持ち込ませないで没収する。その没収したアルコール類は検閲の役人が飲むのか、免税店に安く売って懐を肥やすのか?免税店は二重に儲けているのか?などと、KLIA、KL国際空港全体への不信感につながってしまうのです。
ただ、マレーシアに戻った日のわたしはすごくいい気分でした。朝、ホテルをチェックアウトするときに、カウンターの下に、ちょっと高額な現金やパスポートなどの貴重品をいれたリュックサックを忘れて、歩いて3分ほどにある成田空港への高速バス乗り場に行き、そこで思い出してホテルに戻ったのです。カウンターの下には忘れたリュックサックがおいてあったのです。急いで取りに戻ろうとしたら、「渡邉さん」と声をかけられて、振り向くと、高校時代の友人の息子がいて、笑っていました。そして、飛行機(JAL)から降りて、預けた荷物を取りにいくと、「ミスター・ワタナベ。座席に、ペットボトルと医療器具を忘れてきたでしょう?」と言われて、「しまった!」と頭をかいたのです。医療機器はノドが乾燥するので湿気を与えるネブライザーという器具で、大事なものです。待つこと10分近く、わがネブライザーは無事にわたしの手に・・・。そして、もうひとつ。KLIAの空港タクシーで身振り手振りで案内しながらコンドミニアムについたときに、座席にコンドミニアムの出入りに使うカードを忘れたらしく、翌朝、あわてて、ガードマンに「なくしてしまった」と言ったら、「昨日、タクシーに忘れたろう」と言ってもってきてくれた。
一日に三度も、大切なものを置き忘れて、三度とも出てきた。「すごいラッキーだ。おれはまだついている」とよろこんだのです。でも、物忘れが激しくなったのは、やはり、歳のせいか」とガックリもきたのですが。
クアラルンプールに戻って感じるのは、いつも、日本より、東京よりはマシかなということです。マレーシアは政治の転換期を迎えています。政治を利権としてきた政治家が姿を消しつつあります。ですから、日本のように政治のリーダーたちが、アメリカと中国におもねり平伏している国に比べればはるかにマシだと思うのです。
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