クアラ・ブスッの柔道大会
  渡邉明彦
   
 
   マレー半島東海岸のトレンガヌ州の北端に近い“Kuala Besut”という漁師町の反対岸にある「Demong Beach Resort」というホテルに泊まることになった。何でいきなりカタカナに直さなかったかというと、クアラ・ブスッとか、デモン・ビーチとか書くと、「女性への差別用語だ」とか、「悪魔の海岸か」というような言われなき非難を受けそうな気がしたからだ。と、言いながら、会社の女性スタッフに「お前の町だろ」と言って(もちろん筆談だが)、嫌な顔をされた。「デモン」と聞いてあのどぎつい隈取をしたデーモン小暮を思い浮かべる人はまだ若い、わたしたちの年代は“ヒデとロザンナ”の出門ヒデの爽やかな顔、甘い声を思い浮かべてしまう。
 クアラ・ブスッは珊瑚礁の島で知られるプルフンティアン島に行く船の船着場がある。
 コタバルから一時間半弱、クアラ・トレンガヌからだと二時間以上、稲作の田圃を両側に見ながら走らないと着かないというとんでもない僻地にやってきたのは、一年おきに催されるマレーシアの国民体育大会ともいうべき州対抗の総合スポーツ大会SUKMA2008の柔道の会場がクアラ・ブスッの教員養成大学の体育館を会場に開催されるからだ。
 クアラ・ブスッは、ブスッ川の河口にある漁師町で、当然のことながら新鮮で豊富な海の幸の料理がふんだんに食べられる。ただし、わたしは蟹、海老、ウニが大嫌い、見るのも嫌だという変人だから、ほかの人たちは大喜びしているのにわたしだけうつむいていることが多い。おまけに、クランタン州もトレンガヌ州もモスリムであるマレー人が人口の80%以上を占めるというイスラム色のつよい土地柄だから、下手をすると、アルコール抜きになる可能性がある。それでも、数年前には州都のコタバルやクアラトレンガヌには数えるほどだがビールを飲ませてくれるレストランがあった。「ここでは飲めるのかなあ」というつよい不安もある。ちょうど一年前の入院中と同じく、禁アルコールになるのかどうか、これから運命が決まる。それでも無類のアルコール好きの華人の柔道仲間がついている。たぶん、大丈夫だろう。
 コタバル空港から約1時間半弱、クアラ・ブスッは予想通り襟裳みたいな「何もない町」だった。デモン・ビーチ・リゾートは地方の私立大の寄宿舎のような造りだった。というと殺風景な感じだが、窓から眺める南シナ海は美しく、海岸でのんびり寝転がって本を読みながらウィスキーの水割りをチビチビやれたら最高の舞台だった。でも、惜しむらくは、このホテルではアルコールは望めそうもない。
 7時。ペナンで指導している元大阪府警の浜辺先生ご夫妻や、柔の達人坂元英郎八段、柔道大好きのJBのビジネスマン、ウォルター・リーさん、ペナンの前のマレーシア柔道連盟会長のジョニー・クー先生、JICAのシニア・ボランティアの熊井先生らとクアラ・ブスッの「サクラ」という名のシーフード・レストランに行った。ついた途端、どこからか、シーバス・リーガルの1Pビンが出てきた。うれしいと思ったら、きっちりと冷えた缶ビールも出てきた。理想的なパターンだ。
 柔道連盟の総務をしているマレー人のAさんの前にウィスキーのボトルや缶ビールを並べて写真を撮った。JBから10時間かけて自分で車を運転してきて疲れきっていたのか、柔道の大先輩を恐れてか、大それた抵抗はしない。
 いきなり蟹だか海老の肉の入ったスープが出てきた。目をつぶって食べた。次はロブスター並みの大きな海老が出てきた。あとで聞いた話では一匹RM20以上するという。それでも怖くて、さすがに手が出ない。ビールとウィスキー水割りを飲みながら、野菜やら鶏肉やらを食べた。隣に座っていた浜辺先生は警察にいただけあってまじめに柔道を見ている。わたしとは品性が違う。
 翌朝、窓を開けると、美しい海岸が見えた。近所の食堂で朝食を食べ、海岸に行った。小きれいな白い砂の半円状の入り江だった。これで、松の木が立っていれば、日本の海岸と見まごうばかりの、いい入り江だった。
 SUKMAと呼ばれている大会は2年おきに、各州が持ち回りで、若いスポーツマンを対象に州対抗で行われる。日本の国体でもそうだったが、主催する県は国内のトップレベルの選手を引き抜いてくる。その温床だったのが「教員の部」というカテゴリーだった。SUKMAには教員の部はない。それでも、有力選手がいつの間にかトレンガヌ州に所属している。州の名誉も大切だが、これを機会に州のスポーツのレベルを上げ、州の人々を団結させ、人々に健康と生きがいをもってもらおうという州政府の意欲が現れている。だから、トレンガヌ州の選手が出場すると、太鼓がなり、大歓声が湧き、審判の声が聞こえないほどだ。
 マレーシアの柔道の試合も、どちらかというと“JUDO”であって、柔道とは異質に感じる選手が多い。組み合う前に脚を取ったり、タックルしたり、プロレスのような飛行機投げやら、ひざを痛めるし、一本が取れないので日本の選手はやらない膝を付いての背負い投げをかける。寝技ができないのに巴投げをかけて、押さえ込まれて自滅する選手も多い。
 もちろん、日本式のきちんとした一本をとる柔道をする選手もいるが、少数派だ。わたしたちが何十回、何百回と言っても、見た目がかっこよくて、簡単な方法にいってしまうのがつらい。
 わたしはバングサだけでなく、ひまを見てはペナンやマラッカ、セレンバンなどに行って稽古をしてきた。だから、「先生」と呼んでくれる教え子たちがそこここにいる。顔見知りの選手が出ると自分が試合をしているような気になってしまう。そして、数年前までわたしが教えていた選手が指導者になっている。巨漢のタムもその一人だ。バングサに来ていたことは110kgだったが、今は130kgあるという。「おれはこんな大きな奴に柔道を教えていたのか」と感心する。7,8年前には西オーストラリア大学の柔道部に通っていた頃の弟子がバングサの道場にきていて、彼ともいくら稽古しても投げられることはなかった。年齢のせいと病気のせいで、当時の面影もないくらいに弱くなった現在の自分からは考えられないことだ。
 でも、自分の教え子が指導している生徒たちが頑張っているのを見るのはうれしい。少しずつ、試合のやり方を教えたりしたが、タム先生の言うとおり「二年後に金メダルが取れるようにしたい」という指導法は正しいと思った。
 夜食はブスッ地区の首長の招待の食事会で柔道の選手や役員が呼ばれたが、アルコール抜きの食事ができない、美食家のわたしたちは別行動をとった。『イカン・バカー』という名の魚料理のレストランに行き、名物料理を食べ、その後、ブスッ地区唯一の中華料理、昨日の“サクラ”レストランに行き、ビールで乾杯。人心地をついた。
 とてもいい田舎町なんだが、雑念の多い俗人であるわたしには住めそうもない。魚がうまいというだけでは生きてはいけない。若い頃のように、毎日女性を求めて飲み歩くかマージャンで朝帰りというギラギラはなくなったが、やはり、アルコールはほしいし、おいしくて、健康にいい食事をしたい。機会は滅多になくなったが、(相手にされなくなったが、)できれば目をたのしませてくれる女性がいれば最高だ。枯れてきてはいるけど、生臭さも残っている。生臭さがあるうちは、「不死身」と呼ばれ、二度のガンにも、二度の脳梗塞にも負けない強運があるのだろう。
 話はまったく変わるが、わたしが今行って余生を送りたいのは、カンボジアかラオス、できればヒマラヤ山脈の小国ブータンで生活したい。一番現実的なのはカンボジアだ。できるかどうかわからないが、まず、プノンペンで柔道の仲間たちと一緒に柔道人口をふやしたい。それからつよくしたい。5年、10年かけて息の長い柔道のシステム作りをしたい。 そんなことを漠然と考えている。
 気持ちの上では、やはり仏教国がいいと思っている。イスラムは日本のイスラム研究の大御所の東大名誉教授の板垣先生に尻をひっぱたかれて、ずいぶん勉強したし、マレーシアのイスラムの最右翼であるクランタン州の主席大臣のニック・アジズ師にも薫陶を受けた。だから、日本人としてはイスラム教をかなり理解しているほうだと思っている。それでも、やはり仏教のほうが自分には合っていると感じている。ここ数年、臨済宗の和尚さんと親しくなって、京都や奈良、福井の名刹に行く機会がふえたせいもある。
 二日目の試合で、男子100kg級でマラッカやペナンの選手が活躍した。ペナンの一番強くて一番気がやさしい選手は一回戦でまさかの敗戦。不用意に大内刈にいって返されてしまった。敗者復活戦を勝ち上がって銅メダルをとった。しようがないので返されない大内刈りというか、基本どおりの大内刈りを教えた。
 女子の最重量級の70kg超級で、出場選手の中で一番小柄なペナンの顔なじみのリー・イン選手が自分の1.5倍ほどの巨漢選手を一回戦、二回戦と背負い投げで転がし、押さえ込んで一本勝ちした。準決勝、決勝も快勝したという。「小よく大を制す」、体重差約30kgも重い選手を次々に破って優勝した。
 かく言うわたしは高校時代は70kgなかった。それでも、試合では重量級に出たりしていたから、重い選手大きな選手に勝つことの大変さはよく分かる。だいたい、30kg以上重いと持ち上がらない。前に投げられない。それなにに前に投げて転がしてしまうのだから、すごい。リー・イン選手は、わたしがペナンに行き、柔道場を覗くといつもいる選手で、自分の稽古だけでなく、小さい子にもよく教えている。笑顔の可愛い気持ちのやさしい子だ。何はともあれ、この子が優勝したのがものすごくうれしかった。
 二日目も、トレンガヌの選手が登場すると、会場中は応援の太鼓や嬌声で大変な騒ぎになった。「ここは中国?」と思えるようなシーンもあって、気分のいいものではなかった。
     
 
   
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