何を言ってもとってつけたような言い訳になる。高品質と高い安全性で世界市場に絶大な信用を獲得してきた日本の自動車メーカーから、安全性に疑問があることを承知で欠陥部品を使用したり、消費者からのクレームをかくしたり、自社に責任がある事故を車両の保有管理者の整備不良にしてしまったり、あとからあとから、これでもかこれでもかと発覚してくる。何人もの人が死に、重軽傷を負った。事故が起こりうることを承知で不良部品を取り付けていたとしたら、過失致死傷というより、未必の故意による殺人、および殺人未遂だと考えられなくもない。
三菱自動車とその子会社の三菱ふそう・バス・トラックの経営陣の管理体制が社会の非難を浴びている。ビジネスパートナーだったダイムラー・クライスラー社は資本を引き上げることをきめた。そして、三菱自動車は企業としての存続すら危うくなっている。
三菱と車は黙っていても売れる。三菱グループの中堅企業として、とくに大型自動車部門、四輪駆動部門では抜きんでていた。三菱グループの企業はつぶれない。不敗神話がいま、崩れようとしている。
国民車『プロトン』は三菱だから信頼された
マレーシアの国民車である『プロトン』は三菱自動車と三菱商事が株式を保有し、三菱自動車の技術指導で『プロトン・サガ』、『プロトン・ペルダナ』、『プロトン・ウィラ』などを生産し、マレーシア国民に広く愛されきた。日本国内ではトヨタ、日産、ホンダなどに比べてマイナーなイメージだが、東南アジアでは何故か三菱の車は人気がある。そして、多くの人が「三菱が造った車だから性能がいい」、「三菱だから安心」と信じて購入している。
マレーシアの人達は「三菱の車は、日本でもナンバー1だろう?」とよく聞かれた。「日本ではトヨタ、日産、ホンダの下で四番目か五番目のメーカーだよ。わたしは乗ったことがない」と答えると意外そうな顔をされた。「でも、『プロトン』の車はいい車でしょ」と言われた。この国の人々にとって、『プロトン』は発展の象徴ともいえる誇りだった。
クアラルンプール郊外のシャー・アラムのHICOM工業地区にある『プロトン』社の工場には数年前まで常時数十人の三菱自動車のエンジニアたちが働いていた。個人的にはまじめで陽気なスポーツマンの多い駐在員たちだったと記憶している。もちろん、わたしたちが日常的に接していたのはエンジニアクラスの人達で、マネージャーやもっと上の人達とはほとんど面識がなかった。それでも、ひたむきに技術移転をしようと日々努力している彼等を尊敬していた。
個人的にはいい人達だった。だから、彼等を非難したくはない。しかし、『プロトン』社の経営方針に三菱自動車の経営方針である「都合の悪いことはかくしてしまえ」とか、「どうせ分かりはしないんだから、できのよくない部品でも使ってしまえ」という発想が反映していなかったのだろうか。大多数は誠実で才能あるエンジニアであっても所詮はサラリーマン、管理職クラスの命令があれば、目をつぶり口を閉じてしまうのではないか。
謝罪し、説明する義務がある
三菱自動車の経営陣は『プロトン』社との技術提携時代のことに関して何もいわない。それどころか不祥事が連発する直前に、三菱自動車も三菱商事も所有株を売却してしまった。外見的には、不祥事が明るみにでそうになったので、あわてて売り逃げたと勘ぐられても仕方のないタイミングだった。だから、コメントをだせない、事情をきちんと説明ができないのではないかと勘ぐりたくなる。
三菱自動車の問題が、『プロトン』の販売に悪い影響を与える可能性はないとはいえない。自動車にもっともっとも大切な安全性について不信感をもたれた三菱の技術で造られた車というイメージは、ぜったいにプラスには働かない。
もちろん、『プロトン』のマレーシア側の経営者達は高品質と高い安全性に十分に配慮していたはずだ。それでも、組んだ相手が悪いと、マイナスのイメージの方が表に出てしまう。
少なくとも、日本であれほど多くの不祥事を連発したのだから、まず、マレーシア国民にそのことを謝罪し、『プロトン』社との技術提携についての説明があってしかるべきだ。この国では、マハティール前首相以下政府を挙げて、国民車『プロトン』の製造販売を推進してきた。三菱自動車の経営陣は、自社のような「欠陥隠し」、「事故の責任転嫁」などは、『プロトン』には「ぜったいにない」と言明すべきではないのか。
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