バイク事故。
自分が痛い目に遭わなければ分からない
一日に一度くらいの割合でバイクの事故、事故で路上に倒れているヘルメット姿のドライバーを見る。痛そうにしている負傷者を、バイクの運転者達が見守っている。自動車族は知らん顔だ。
見知らぬ人が、傷ついたバイクの運転者をいたわるのは、人柄のよさの表れだろう。逆に、事故に高級車が関わると、バイクと高級車のどちらに理があって、どちらに非があるかは別にして、高級車側が「お前が悪い」、「金持ちなんだから、お前が治療費を払ってやれ」などと集団で糾弾されそうで怖い。
路上をスラロームのように走り、二人乗り、三人乗りはあたり前、四人乗り、五人乗りもある。信号無視、一歩通行の逆走、傍若無人のバイクの運転者に苛立っている外国人運転者は多い。80km/h、90km/h、100km/hと高速で走っている車と車の1mたらずの間をすり抜けていく。カーブではレース上並みのコーナリングを見せていく。石ころひとつ転がっていたら、それであの世行きは確実だという運転をしている。「何でもあり」のバイクなんだから事故に遭うのが当たり前と、わたしたちは事故を起こして路上に横たわっているバイク族にも冷たい視線を横目にやるだけだ。
いつも思うのは、「一度、痛い目にあってみなければ、無謀運転が怖いということが分からないんだろうな」ということだ。痛い目にあって、それで元通りに機能が回復すればいいけれど、二度とバイクに乗れない身体になってしまう人も多い。もちろん、「痛い」とか「怖い」とか永遠に感じなくなってしまう人もかなりいるはずだ。
10年近い昔、日系のバイク・メーカーの人に「警察と組んで安全運転キャンペーンや安全運転教育をやる計画はないんですか?」と質問したことがある。「今は社の方針で販売に重点をおいている。今のところ、その計画はない」と言われた。10年近くたっても、安全運転教育より、売り上げを伸ばす方が優先ということなのだろうか。聞いてみたいと思う。
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本稿は日馬プレス第280号(2004年8月16日)に掲載されたものです。